「唯識」とマインドフルネス

 

NHK Eテレにてこころの時代「唯識に生きる」が放送されています。

 

4~5世紀のインドで無著と世親という兄弟によって打ち立てられた「唯識」は、瑜伽行(修行としてのヨーガ)を実践する人々が、瞑想によって自己の奥深くにある心のメカニズムを観察することからうまれたそうです。

 

「唯識」は日々の中で自分を客観的に見つめ、こころの有りようを積極的に変えてゆく具体的な実践を説くといいます。

 

西遊記で有名な玄奘(三蔵法師)はこの「唯識」を中国に持ち帰り、弟子と共に、法相宗をつくります。

 

そして、日本仏教の宗祖達(浄土宗:法然、浄土真宗:親鸞、曹洞宗:道元、真言宗:空海)も、この「唯識」に触れ、学び、それぞれの宗派の考え方の中に活かされているのだそうです。

 

マインドフルネスの根っこは仏教ですから、「唯識」の思想と通ずるところがあるのは当然なのでしょう。

 

第1回の放送では、「唯識」の基本思想「すべては心の中でつくられたもの(起こっていること)である」、「『縁起の理』他の力で生かされている(すべての存在が他との関係の中で生かされて在る)」について解説されました。

 

第2回目の放送では、「自分とは何か」についてでした。

 

マインドフルネスのカウンセラーとして、クライアントに心を観察する技法をお伝えしていますが、その考え方の基礎となっているものは、本放送の内容と相通ずる部分が多いと感じます。

 

日本では宗教アレルギーが強いことから、「マインドフルネスは宗教色を排除したものである」という位置づけにこそ意味があるのでしょう。

 

しかし、例えば終末期のターミナルケアで必要とされるような、死生観に関わる苦しみをあつかうレベルの深いマインドフルネスでは、宗教とマインドフルネスの境界を定めることは難しくなるでしょう。

 

筆者はマインドフルネスと宗教の同一化を押し進める考え方はありませんし、一般的には別物でよいと思っています。

 

ただ、自分を深く知ろうとすればするほど、宗教、哲学、ヨーガ、マインドフルネスの距離は近くなるような気がしています。

 

 

コメント