心のコントロール

瞑想についてよくある誤解は、「瞑想中は何も考えずに心を無にするべし」です。

 

実際、瞑想をしていると、心の中で様々な思考や感情やイメージが現れてきます。

 

それは、最近、自分が経験した事柄に関するものや、印象深かった事柄に関するものや、気になっていることや、あるいは、それらとは何の関係もないことであったりします。

 

私の場合は、自分が直面していることに限らず、何の脈絡もなく様々な思考や感情やイメージが生まれては消えていくような感じです。

 

そして、それらが生まれる瞬間をスローモーションでは認識できません。

 

解説すると、心の中に ザクッ!と瞬間的に刺さるように現れます。私自身は現れた後で「あっ、現れた!」と認識するのです。

 

関連性のない思考やイメージが意図せずに次々に現れるといった感じです。

 

自身の経験では、人は無意識から思考や感情やイメージを心に映し出していて、それらを映し出す瞬間を意識的にコントロールすることはできないと感じています。

 

人ができるのは、映し出された後の、思考や感情やイメージを、行動に結びつけるのか、つけないのかを選択することです。

 

私はこの選択を意識的におこなっていると感じていますが、専門家によると、無意識によって決断を下した後で、意識が後追いでそれを決断したと認識するのだそうです。

 

エエッ! って感じですね。本当に不思議です。

 

これらのことはベンジャミン・リベット教授が著書「マインド・タイム」で紹介していますし、その分野の複数の専門家が同じように、無意識と意識の関係について論じています。

 

ご興味ある方は、ご一読されることをお勧めしますよ。

 

瞑想の治療メカニズム

マインドフルネスを活用した治療では、座って「瞑想」をおこないます。

 

座ってじっとしている「瞑想」で、いったい何の効果があるのかと思いませんか。

 

私の手元にある書籍「マインドフルネス・瞑想・座禅の脳科学と精神療法:新興医学出版社」に花園大学の安藤教授による論文「精神療法としての瞑想−その発展と近年の潮流」が掲載されているのですが、そこでは瞑想の治療メカニズムをわかりやすく要約しておられます。

 

ポイントは「脱同一化」です。

 

〜 心理的内容との同一化をやめて、思考、感情、イメージなどの心理的対象物を観察する 〜

 

これを違う表現では、自分の位置を物語の主人公そのもののモード(当事者視点)から、一歩引いてその主人公を観察するモード(第三者視点)に変えること、とも言いかえられます。

 

さて、安藤教授は、「脱同一化」は仏教でいう「執着」に深く関連する用語であり、瞑想とは、執着から離れる、あるいは解き放たれるための技法だと述べておれらます。

 

私も、「脱同一化」がポイントであると理解しています。

 

つまり、自分が川の流れの中にいるとして、思考、感情、悩み等と、もみくちゃになりながら、一緒に流されていく状態から、自分は岸にいて、流れてゆく自分の感情、思考、悩みをただ眺めているという状態に立ち位置を変え、観察モードになることです。

 

適切な表現ではないかもしれませんが、他人事として自分を見る、とも言えます。

 

瞑想中であれば、こころの中に感情や思考が現れては消える様子をただ観察し、自分のこころに様々な感情や思考が明滅していることや、それが自分を喜ばせたり傷つけたりしていること理解して、ただ受け入れることに努めるのです。

 

こういった経験(訓練)を積み重ねていけば、自分にとって辛い感情や否定的な思考などに意識が吸い寄せられて、視界が広がらなくなるという状態(執着)から逃れられるようになります。

 

ネガティブ思考に捉われて(執着して)いると、こころの不調を招いてしまいます。

 

マインドフルネス瞑想は、こころの健康維持に効果的です。

 

瞑想時の姿勢と膝痛

昨年末に路上で転倒してしまいました。

 

年のせいか、悲しいかな歩くときに足が上がらなくなっているのでしょうね。

 

その影響で膝の半月板や靭帯が傷つき、正座をしたり胡座て座ったりするのが困難になりました。

 

瞑想時の結跏趺坐など完全に無理な状態です。

 

それで瞑想するときは椅子やソファーに座ったりしています。

 

座る姿勢が難しい場合は寝転んでやっていた事もありますよ。

 

マインドフルネス瞑想は継続してキチンと実践する事が必要であるなど、修行的要素はありますが、禅の修行ではありません。

 

私はどのようなスタイルであっても、覚醒した状態で臨めれば良いと捉えています。

 

そうでなければ、身体的なハンディキャップがある人は実践できませんよね。

 

一般的に椅子に座る場合のポイントは、浅めに腰掛けて、背中を背もたれにつけずに骨盤を立てるのが良いですね。

 

そうすると背筋も伸びて、覚醒した状態を維持しやすい(眠くなりにくい)というメリットがありますよ。

 

膝が悪くて胡座で座れないよーという方はぜひお試しください。

 

マインドフルネス瞑想ジョグ

脳科学者として知られる茂木健一郎氏が、TV番組に出演してインタビューを受けていました。

 

執筆活動に多忙な茂木氏は、長年ランニングも続けており、執筆の合間にランニングをおこなっている様子が映し出されていました。

 

氏曰く、ランニング中は何も考えず走っているので、脳のDMN(デフォルトモードネットワーク)が活性化して、思いがけないアイデアが浮かんだりするのだとか。

 

走ることに集中(今、ここに集中)している、つまりマインドフルネス瞑想をおこなっている状態と同じともいえますね。

 

氏は、本ブログで以前に紹介した書籍「脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方」中で紹介されていた、米国の学校で授業前に有酸素運動をおこなうと学力が向上した事例についても触れ、有酸素運動が脳を活性化すると述べていました。

 

筆者も体験として、運動が脳に与える良い影響については深く同意するものです。

 

体を動かしながらおこなう瞑想としては、「歩く瞑想」がありますが、体力を向上させつつ、脳をより覚醒させるという観点からは「走る瞑想(マインドフルネス瞑想ジョギング)」の有用性も合わせて紹介していこうと感じたのでした。

 

マインドフルネスの効果3

本ブログでは、過去に「マインドフルネスによる疾患の症状改善効果は即効性を期待できない」旨の記述をしたことがあります。

 

福岡マインドフルネスセンターのホームページには一例として掲載許可を頂いたクライアント様の事例(半年間の実践により症状が改善)を掲載しています。

 

掲載事例以外のクライアント様の状況はどうかというと、やはり数週間で変化が現れるなどということはなく、数か月の実践継続によって少しずつ改善しているクライアント様がほとんどです。

 

しかも、データ上では若干の改善が見られても、ご本人の感覚としては「良くなっているかどうか実感がない」というものが多いです。

 

改善が自覚出来るようになるのは、データ上でいうと、若干ではなく、明確に改善が図られた頃、つまり数か月の時間をかけた実践を通じて、ようやく自覚できるレベルになるといった具合です。

 

この、改善には時間を要するという事実は、過去、私自身の改善経験によっても同意できます。

 

効果が期待できるまで時間を要するという特性があるため、簡便な手法で、且つ、即効性を期待する人はマインドフルネスに失望することになるのでしょう。

 

しかし、現在悩んでいる人によく考えてみてほしいことは、疾患に至るまでにはそれなりに長い時間をかけて悪化してきているのであり、一晩でうつ病になったなどということはないと思うのです。

 

そうであれば、やはり、一晩でうつ病が改善してしまうような即効性ある手法もないと思います。(私は知りませんので、あれば本気で教えて欲しいです)

 

うつ病に悩んでいる方は、ぜひ腰を据えて、改善効果が期待できるSIMT(自己洞察瞑想療法)を試してみて頂きたいと思っています。

 

マインドフルネスと日本人

日本人の死生観や世界観に関する興味から、日本古来の宗教「神道」や、日本古代史の代表的文献「古事記」について調べていたのですが、その経緯で、縄文時代以前に存在したとされ、学術的には捏造の烙印を押されている「カタカムナ」文字とその解読に関する書物を知りました。

 

この「カタカムナ」文字の解読のカギとなったのが、古事記に出てくる日本の神(天皇)の名前と系譜が同じ順番で記載されていたからだとのこと。詳細は割愛しますがご興味ある方はググってください。

 

仮にそうだとすると、古事記は古代の「カタカムナ」文化の伝承と言えるかもしれませんね。

 

ところで私はその真偽より、その書物で語られ、神道にも繋がる、日本の神観に強く興味を持ちました。

 

日本の三種の神器は、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)です。

 

これらの原器はそれぞれ、勾玉は皇室、鏡は伊勢神宮、剣は熱田神宮に保管されているそうです。

 

日本の多くの神社にご神体として鏡が安置されているのは、八咫鏡を起源としたものと考える説があります。

 

神社で神として参拝する鏡には自分自身の姿が映る、つまり、神は自分自身の中にあるのだという考え方は、仏教において仏(宇宙の真理)は自分の心の中に存在するということと同じなのかもしれません。

 

仏教由来のマインドフルネスは表面的には呼吸法や感覚の訓練と見えますが、これを深めていくと、自分の心の中に真の自分(真理)を探求することに繋がっています。

 

時代や場所が異なる(文明とともに発達した)宗教で、その言わんとするところ、つまり真理が同じであることに不思議な感銘を受けた経験でした。

この世界はすべてつながっている

ここのところ時間があったので、Web上の気になる記事をピックアップしていながら未読だったものを読んでいましたら、In Deep の2017年9月12日記事『太陽と人間と地球の間に存在する永遠のシンクロ : 最近の研究でわかった「すべての人類の心臓のリズムが地球規模で同期している」ことと共に、「太陽と地球と全人類は常に磁場を介して同期している」こと』にあたりました。

 

記事中で詳細に紹介されていますが、簡単にいうと、《太陽活動》と《地球の発する共振》と《人間の体内の自律神経のリズム》が、すべて同期していることがわかった、というものです。

 

私は、この記事から「人は宇宙の中に個別に存在するものではなく、宇宙の一部なのだな」ということを西洋科学的にも再認識しました。

 

全体の一部であるということは、つながっているから一部なのであって、切り離せないものは全体でもあります。

 

マインドフルネスにおいて、精神性を深めていくにつれ、自分自身が周りの世界とつながっている(影響しあっているといってもよいでしょう)ことを認識していきます。

 

世界はつながっているから、それぞれに切り離すことができないというものの見方が一元観(東洋哲学)で、私と貴方は別個のものであるように、それぞれが存在しているのだという見方は二元観(西洋哲学)です。

 

ちなみに現代人の私たちが真理のよりどころとする科学(いわゆる西洋科学)は、どこまでも切り分けて分析して、真理を見つけようとしていますよね。

 

どちらが正しいとかいう話は横に置いておいて、この一元観をよく表しているのが仏教の考え方で、日本人にも比較的親しまれている般若心経の色即是空空即是色という言葉に端的に表現されていると思います。

 

むずかしくて意味わかんないという方は、生命科学者である柳澤桂子氏の「生きて死ぬ智慧」をお読みになると良いでしょう。

 

科学者による心訳で、原子レベルの視点から般若心経による宇宙観をわかりやすく解説されています。

 

本ブログ記事は仏教への勧誘ではありませんが、何千年も受け継がれてきているものには、真理があるのだなと感じます。

 

余計な話ですが、「生きて死ぬ智慧」を読んだ後、日本人に多くにとって、ほぼ葬式仏教としてしか縁がなくなっている日本仏教が、この先、世の中がより混とんとするであろう時代に、どう生きるかという考え方を提供するものとして再活用されるだろうかという懸念も感じたことも書き加えておきます。

 

さて、話は戻ります。マインドフルネスは仏教から宗教性を排除したものとして区別されていますが、根っこは仏教の考え方の一部を抽出したものです。

 

マインドフルネスの実践を続けて(深めて)いくと、どこかで一元観による宇宙観(ジョンカバットジン氏は全体性と言っていますが)を知るようになります。

 

一元観によるものの見方を体験すると、世界の見え方が変わります。何故って、自分にとっての大切にするべき価値の基準が変わるからです。

 

誤解の無い様に申し上げておきますが、私は貨幣経済の中で生活していますから、そこを否定しているわけではありませんよ。

 

ただ、今まで経験したことのないかたは、一度、一元観の世界に触れてみることをお勧めします。

 

マインドフルネスを科学的に解説するということ

映画「天使と悪魔」で、ロバートラングドンが言った「ガリレオは宗教と科学は同じことを語る異なった言語だと考えた」という言葉が記憶に残っています。

 

どちらも真理を追求するものでしょうが、西洋文明に染まった私たちは、現代科学で証明できないことは真実ではない、と否定する傾向があるように感じます。

 

いまだに科学で解明できていないことが多く存在するというのに、私たちの思考がいかに柔軟性に欠けているかを表しているように感じます。

 

さて、表題の「マインドフルネスを科学的に解説するということ」ですが、私たちの心は物質的な形が無く、未だ科学で記述できるレベルには至っていないようです。

 

そのため、例えば精神疾患を引き起こす物質的な仕組みについては、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミン等のモノアミン神経伝達物質や身体各器官の反応(働き)などで、なんとなく「科学的に」解説されています。

 

私自身、クライアントの方へ科学的な表現でマインドフルネスの効果について正しく解説できるよう、常に新しい情報を得るように努力しています。

 

しかしながら、例えば、人がストレスを受けたときに視床下部が反応して、神経伝達物質によって下垂体から副腎皮質へ反応が起きていくといった現象の根っこの部分、つまり、刺激が扁桃体などを経由して伝わる際、具体的にどの器官がどのような仕組みで自分にとっての善悪をどのように判断しているのか等は、色々調べてもよく分かりません。

 

それらしいことを記述している文献を呼んでも、理解力が足りないのかなんとなくよく分かりません。

 

なので、スッキリと解明されていないから、読んでもよく分からないのだろうと理解しています。

 

マインドフルネスを継続することによって得られる効果は、個々人によって程度は異なりますが現実に存在します。

 

ただ、効果が発現する仕組みが「科学的に」完全に解明されているかというと、まだ道の途中というところでしょうか。

 

マインドフルネス実践で大切なこと

今日は、福岡マインドフルネスセンターで提供している、個人セッションならではのサービスについてお話しします。

 

自己洞察瞑想療法SIMTのコースは、全10回のセッションで構成され、毎月1回のセッションを実施していきます。

 

福岡マインドフルネスセンターでの実践指導は月1回なので、翌月の実践指導日までは、クライアントさん自身で毎日実践をして頂いています。

 

しかし、自分だけで毎日実践を続けるのは、モチベーションの維持が難しいという問題があります。

 

なぜなら、毎日の実践において、劇的な変化を感じられる訳ではありません。

 

変化は、ある程度の期間、実践を継続することで、少しずつゆっくりと訪れるからです。

 

月1回の実践指導の2時間だけで、セッション内容をしっかりと理解出来ない場合もあるでしょう。

 

指導者と、指導を受けるクライアントさんは別人ですから、同じ内容をイメージするための表現が異なる場合もあるでしょう。

 

クライアントさんが内容を理解しているつもりでも、時には自分の理解が正しいのかどうか自信が持てなくなって来ることもあるでしょう。

 

実践中に、新たにわからない事が出てくる事はよくあることです。

 

このように様々な理由で、モチベーションが下がり、実践から遠ざかることになりがちです。

 

マインドフルネスの効果を体感するにために最も重要なこと、それは「継続して実践すること」です。

 

マインドフルネスの本を読んで、頭で理解できても、実践が伴わなければダメなのです。

 

このため、福岡マインドフルネスセンターでは、個人セッションを受講するクライアントさん向けに、SNSを活用した1対1のサポートをおこなっています。

 

クライアントさんは、毎日の実践内容をセンターへ送付し、センターはその都度アドバイスを返信しています。

 

疑問や質問等どんな些細なことでも、実践に係るものであれば、毎日、いつでも尋ねることができ、アドバイスを受け取ることができます。

 

こういったサポートは福岡マインドフルネスセンターにとっては確かに手間がかかりますが、クライアントさんに実践を継続してもらうためには極めて効果的なサポートであると感じています。(おかげさまで好評をいただいていますよ)

 

1日でも早く効果を実感して頂きたい、ご自身だけで実践を習慣づけられるようになって頂きたい、そういう想いでこのサービスに取り組んでいます。

 

自分を変えたいと願う方に、病気を治したいと願う方に、一生使えるマインドフルネススキルを提供します。

 

死について

最近、自分の身内が闘病の末にホスピスで亡くなりました。

 

この世界は無常であり、生まれることも死ぬこともないということは理解しています。

 

それでも、その人を見ることも、触れることもできなくなると、やはり悲しみの感情は生まれますね。

 

それに押しつぶされてしまうことはありませんが・・・。

 

自身のHPで紹介しましたが、マインドフルネスによる終末期ケアの書籍に以下があります。

 

81EAi2CI9QL.jpg

 

翻訳が少々読みにくいのですが、終末期ケアを受ける側と、ケアする側の心の問題を、臨床現場での多くの事例で綴っているものです。

 

私は、現在、マインドフルネス心理療法でうつ病等の精神疾患を治す支援をおこなっていますが、将来はターミナルケアの現場でも支援活動をおこないたいと思っています。

 

そして、様々な理由で遺族となった方々のグリーフケアにも取り組みたいのです。

 

こういった自分の存在に関わる問題には、心の奥深い部分まで洞察する深いマインドフルネスが必要です。

 

現在のところ、宗教がその役目を受け持つことがほとんどだと思いますが、その方の信仰にとらわれずに宗教と同様の深さでケアできるマインドフルネスを研究していく必要性を感じています。

 

紹介した書籍の一文から

「愛する人が死んだ時、その人は全てなくなってしまうのだろうか。なくなりはしないが、それは一箇所に変わらない形であり続けるものではない。つまり非局在的なものである。・・・・死んだ人は、その人と関係性を持った人たちの中で生き続ける。・・・・
無常の中では分離できるものはない、私とあなたは無常の中では分離できない。」

「生と死は切り離すことができない。この世界の全てのものは常に変化している。もう少ししか生きることができないという診断結果を受け取ったとき、私たちは自分の人生や運命について吟味し始める。残された日々を治療に費やすか、関係性を大切にし、利他性を心がけながら、自分の注意を心理的な問題やスピリチュアルなことに向けて人生の意味を探し求めるのか、私たちは選択をすることができる。」